映画「ナミビアの砂漠」を見た。とてもすごい映画と思った。
いわゆる「振り回す」女性というのは、今まで男性的な視点から魅力的な女性として描かれることが多かったのではないかと思う。それを恋愛模様や病気と言った言葉に終始せず、また福祉目的や露悪目的でもなく当事者のままならなさにフォーカスして描いたことは価値のあることだと思う。
続きを読む: 「ナミビアの砂漠」みたあれを20代で作ったというのも何を食っていたらそんなに世の中の解像度が高くなるんだ、と思う。本当に世の中の解像度が高かった。こういった映画を作れる人というのは、日常の中の違和感を逃さずなぜこうなんだろうと考えられてきた人ではないかと思う。自分の思っていることと反対の意見に対して「こんな意見を言うなんて信じられない!」と言っているうちはこうはなれない。
特に描き方がすごいなと思ったのが主人公・カナの「頭の良くなさ」である。カナという人間は、言葉が悪いがおそらくあまり頭はよくない。
頭が普通の人は自分の性格や精神に課題があると感じたとき、いわゆる俗流心理学を学ぶ。
本質をとらえていない人間が愛着障害だとか躁鬱だとかいう病名を探し、スペクトラムのどこにいるかどう付き合っていくのかも考えずに特徴に名前を付けることによろこびを覚えている姿は見ていられないが、それもしっかり描かれていた。
カナは彼氏が語る俗流心理学っぽいことをつまらなそうに聞いているし、医者に躁鬱ですかねと言われたとき、私躁鬱なんですかと拍子抜けしたように言う。そして、隣人(これも浅めの人間として描かれている)と話す中で心地よさを感じ、走り回るシーンが映画の終盤にある。
おそらく監督の山中さんは頭の良い人なのだと思うが、この絶妙な頭のよくなさを描き出せるのってなぜなんだろうかと思った。世の中に起こっている現実に向き合うほかないのだと思うのだけど。
脳からの解放というか、人はいろんなものを考えてうれしがるけれども、病名がつかなくてもやもやしていたカナが隣人との会話で気持ちが解放され走り回るシーンや「おなかすいた」が不愉快でブチギレてしまうシーンなどにはそういう、感想とか気持ちとかって感じているの脳じゃなくて体でしょうよ!という力強い身体論への招待を感じた。